【前回の記事を読む】静かな朝に突然響いた異様な音……それは大きなネズミと白い子猫の闘いの幕開けだった
丙午と野良猫記
私が生まれた数日後には、台風の中ビートルズが来日した。その時私は赤ん坊だったがこの上なく嬉しかったに違いない。きっとテレビで放送されているフィーバーを、赤ん坊ながら肌で感じ取っていた事だろう。
私は二歳になるまで何度かひきつけを起こしていた。その度に父は私を抱っこして病院に駆け込んだ。舌を噛んだらいけないと、自分の人差し指を私の口に入れたという。
指がちぎれるんじゃないかと思うほど痛かったそうだ。私もうっすらと、夜遅く病院に運ばれた事を記憶している。父のお陰で後遺症もなく、少しずつ健康になっていった。父は私の二人目の命の恩人である。
大阪万博が開幕した一九七〇年(昭和四十五年)、私は四歳になった。この頃の記憶は少々ある。家のグレーの砂壁に、私はクレヨンで太陽の塔を二つ描いていた。この壁だけは、いたずら書きやシールを貼ってもいい事になっていた。
夏になると母が大きなヤカンに、カラカラカラッと麦を入れて麦茶を作ってくれた。今のようにティーパックはなかったので、ヤカンいっぱいに水を入れて麦を煮立たせた。とても芳ばしい香りがして(夏が来たなぁ)と思わせてくれた。
母は麦茶が甘くないので、砂糖を一緒に入れて飲みやすくしてくれた。朝作ってからティーポットに入れ替えて冷蔵庫で冷やし、お昼過ぎに氷を入れて飲むのが好きだった。
夜は寝室に蚊帳を吊って蚊が入らないようにして寝た。八畳いっぱいの大きな蚊帳で四隅に大きな輪っかをかけた。電気をうす暗くし、テントのような蚊帳の中に布団を敷いて、準備が出来ると、母が
「入っていいよぉー」
と言う。私は喜んで下から蚊帳を持ち上げて入り、布団の上をゴロゴロした。夜の秘密基地のようで楽しくて好きだった。そして布団に寝て、蚊帳のかかっている天井や脇を見ながらぐっすり眠った。
今は網戸があるから蚊帳などを吊る事はなくなり、便利な時代にはなったが、この蚊帳の中に入って眠るドキドキ感やワクワク感は、今の子供達にも味わわせてあげたいなぁと思う今日この頃である。