「彼氏じゃないです。ただの友だち」

ただのなどと言うべきではなかった、わざとらしく聞こえはしなかったか。

「そう? なら良かった」

それだけ言って征児はすぐに別のテーブルへ行ってしまった。劇団のパーティーから二か月ほど過ぎた週末、菫子は珍しく風邪を拗(こじ)らせてしまった。

何とか出勤はしたものの、午後から悪寒と頭痛がし、事務所に常備してある体温計で測ると三十八度の高熱だった。はた目にもわかるほどぶるぶると震える菫子に、所長が早退を促してきた。

「早く帰ってゆっくり休みなさい」

今日は金曜日、巣鴨で征児に会える日なのに……そう思ったが、熱で朦朧とする頭からはさすがに愛しい男の面影も薄らいでいった。

「征ちゃんにはあたしから言っとくよ。菫子は風邪で来られないって」

加代子が気を利かせて言ってくれていたようだが、その声すらどこか遠い彼方から聞こえる。一刻も早く帰宅して部屋のベッドに横になりたい、その一心だった。

アパートに帰宅してすぐに解熱剤を口に放り込み、服も脱がずにベッドに倒れ込むように身を横たえる。そのままどのくらい眠ったろうか。

ぐっすり眠り、解熱剤が効いて夥(おびただ)しく汗をかいたせいか、どうやら熱はひいたようだった。

ベッドサイドの置き時計を見ると、午後十時。

「公演はもう終わったかしら?」

ようやく征児のことを考える余裕も生まれた。