道場は、破れた看板のあるコンビニの二階にあった。周りはシャッター街だった。下町商店街の繁栄をよそに、この一帯だけが寂れている。一階は以前、コンビニだったが今は閉店状態だ。この一帯は商業ビルの建設が決まっていたので、多くの店は立ち退きを終えていた。それでも、この土地にいすわる、いや、引っ越す金がない常設道場だった。
夕暮れ時、二、三人の練習生が汗を流していた。
電気代をケチっているせいか薄暗い。壊れた蛍光灯はそのままになっている。
ヨシオは静かに入っていった。ドアはかすれた金属音のような音をさせた。
練習会員と間違われたのか、だれも、とがめることはなかった。
黒皮の大きなサンドバッグが、七つ吊り下げられている。
ヨシオはその中の一番大きなサンドバッグに近づいてみた。
サンドバッグのいたるところに、黒い血の塊がついている。その横にはドクロのイラストが描いてあった。
ヨシオは、そのドクロに右のパンチを思いきりみまった。
サンドバッグは張りすぎたドラムを叩いた時の音をさせて、大きく揺れた。
自分の部屋で窓越しに通行人を殴った時は、全く音はしなかったが、殴り、蹴り続けるたびに、サンドバッグは様々に揺れ、様々な音を出した。
当てるたびに、手も足も痛い。ドクロはパニックになったように狂おしく動いていた。
ヨシオはいつまでもサンドバッグの前にいた。夕日が落ちてきた。照明が弱いので、部屋はすぐに暗くなってきた。ヨシオはふと窓を見た。ジムの窓から見える東京タワーは、ことのほか美しく見える。
ヨシオはその帰り、ハローワークに行って、正式に道場に入るため、コンビニのアルバイトを始めることにした。募集中だったためか、直ぐに入れた。月謝を払うために、気が向いた時だけ働き、ジムに通うことにした。一時間以上かかることには抵抗はなかった。
この時、ヨシオは満足だった。スターの卵になったかのような、そして、キックボクサー、空手家チャンピオンの候補者になったような気分になっていた。いい気分だ。軽くステップを踏み、パンチを繰り出す。ヨシオは自分の中で本物のスターになっていくようだった。
それから、三か月が過ぎた。ランニングをしていると街路樹はすっかりと紅葉し、ポプラ並木は銀杏の黄色い絨毯でいっぱいとなっていた。時折、吹く風が枯れた音をさせて、ヨシオの足元をさらっていく。
体を絞ったせいで、体つきも、目つきも、充分に格闘家になったように思えた。
ジムに着いた。相変わらずドアは開けるのがきつく、金属のこすれた音が耳に響いた。
そんなヨシオに、人生初のチャンスが到来した。
原宿で開催される、原宿格闘技「甦れ、あしたのジョー! イケメン・ヤングガイ・チャンピオンシップ」に出場することになったのだ。シャッター街にあるイベント可能なビルを使って行うというものだ。勝者にはトロフィーが贈呈されるとともに、イケメンの象徴である、気取ったタレントの写真がついた王冠が贈呈されるらしい。試合は半年後だ。
優秀選手にはトロフィーとともに、百万円の副賞が出るというものだ。
この壊れかけたジムに、よく来る爺さんがいた。
ジムのオーナーの友人だった。この友人がチャンピオンシップのプロデューサーだった。
奇しくも、ヨシオは、このプロデューサーの目に留まり、出場することになった。 ヨシオがこのイベントに出ることは、SNSなどで、瞬く間に広がっていった。