【前回の記事を読む】「従兄弟との結婚は絶対に許されない」親族の猛反対に揺れながら――嘉子は従兄弟を待ち続けた

第1章 丸山家の人々

丸山重正の帰国

梶本に諭された重正も言われてみれば納得できた。検閲の事を踏まえて嘉子に便りを出さなかったのだ。それでは嘉子にも出発の日など分かるはずがない。納得した重正は心を救ってくれた梶本に感謝するとともに彼に応えるように働いた。

いつも孤独を味わっていた重正にとって梶本はまさに兄のような存在だった。征露丸事件というのはこうだ。

坂出に着いた次の朝、「私物を持たずに全員集合。」という命令でみなが走り出したとき、彼は嘉子がくれたその瓶を股間にはさんだままだった。走り出したとたん、廊下に滑り落ちて征露丸の錠剤が一面に散らばり、彼は堂々とそれを列から外れて拾い始めたのだ。ビンタは言うまでもなかったが、

「貴様何故そんな物を持ってきた。」

「はあ、自分の許嫁は看護婦をしておりまして、水あたりにでもなり陛下の迷惑にならないようにと持たせてくれたであります。」

訳を聞いた上官は彼の勇気をたたえてくれた。これを機に各班で彼を取り合ったというから何が幸いするか分からない。そんな珍事を起こしながらも昭和二十一年五月十二日、鯨部隊の一行は上海の飯田桟橋から長崎県佐世保港に向かった。佐世保港に着いた梶本班の一行は再会を誓ってそれぞれ離れていった。

四年ぶりの再会

「おっかちゃんおとっちゃんただいま帰りました。」

勢いよく家の中に向かって声を掛けると

「あっ、あんちゃんお帰りなさい。」

末弟の新が駆け寄った。

「おお、新! おおきゅうなったねえ。」

重正が家を出たころの新は十一歳の少年だったが今ではかなり背丈も伸びていた。

「おお重正、お前の帰りを今か今かと待ってたぞ。」

重正の声を聞きつけた父、丸山実馬(丸山イチノの弟)が奥から現れた。

「二月には嘉子も帰って来たから安心しろ。」

「嘉子さんが帰ってきたならよかった。同じ中国にいても会えんかったからなあ。」

「そうらしいな、嘉子もそう言うとった。お前たちが帰ってきたのだから早いとこ祝言を上げんといかんなあ。」

重正はいつの間に実馬がこんな優しい事を言ってくれるようになったのかと内心驚きはしたものの悪い気はしなかった。

「まだ帰ったばっかりやからなあ。それよりおっかちゃんの姿が見えんがどうしたと。」