【前回の記事を読む】「宇宙は絶え間なく変動するように設定されており、その結果、生ずる諸物は相対的であり、決して絶対的なものではない」

2 恒常と無常の概念

我々はこのことを啓典や聖コーランに書かれた神聖な一連の法からのみ知ることが出来る。

曰く、“汝らは見てないのか、アラーが如何にして七層の天を正確に測量しバランスよく調和のとれた形に作り給うたかを。そしてその天の中に月を入れ、灯明として太陽を入れたことを。また、アラーは汝らのために地球を創られ、それに絨毯を敷き往来出来る道をお創りになったことを(Qur’an.ch.71:ver.15,16,19,20)”。

これは以下のことを物語っている、即ち、アラー/神は万物を創られた。そして生あるものから生なきものまで全てに独自の義務を課した。アラー/神は、義務がきちんと正当に果たされているか見守っている。アラー/神は、また万物が互いに依存しあうよう注意深く設計された。その結果、我々の宇宙が美しくくっきりと見えるのである。

したがって、人間は地球上を旅し、神によって配された巨大な自然に、アラー/神の御印を直に見ることが出来るのである。これによって創造物の広大さに比べ人間が如何に取るに足らない小さいものであるかを感じとるべきである。人間は、アラー/神の慈愛によって創られた宇宙の一部なのである。アラー/神に対し頭を下げ忠節を誓わなければならない。

以上のことが分かると義務というのは神を喜ばすためだと思いがちである。これは警戒する必要がある。何故なら創造主を喜ばそうとするお世辞の心が生じるからである。

我々は神を怒らせたり不快にしたりするようなことのないようにいつも油断なく警戒しなければならない。神は、善行は常に善をもって報いると約束されている。報いるのに善以外に何があろうか。創造主曰く、“善行に対し善以外にどんな報酬があろう(Qur’an.ch.55:ver.60)”。当然ながら悪行には報酬は期待されない、そしてその程度に応じ創造主から懲罰がくだる。

我々人間が地球上に作り出したものは、いつかは消滅することが知られている。しかし宇宙の創造物の時間の限界とその消滅は創造主のみが知っている。聖コーランに最後の審判の日について以下のような明確な記載がある。

曰く、“その日は人間がばらばらにされた蛾のようになり、山々は梳られた羊毛のようになるだろう(Qur’an.ch.101:ver.4-5)”。これは地上に創られたものが完全に消滅することを意味する。