あるとき、父が肺がんを宣告されました。その翌朝、母がキッチンで倒れました。診断はアルツハイマー型認知症。父の肺がんと、母の認知症介護。それが、同時に私の肩にのしかかってきたのです。
兄や姉にも事情があり、日常的な介護は私が担(にな)うしかありませんでした。現在、高齢者が高齢者の介護をする「老老介護」や、年老いた親が障がいのある子どもの介護をする「老障介護」といった言葉はメディア等で世に知られるようになっていますが、障がいを抱えた私が、両親の介護をする──「障老介護」(私の造語です)は聞いたことがありません。
さらに、認知症とがんの「ダブル介護」。どこにも逃げ場はなく、息つく暇もない日々。それでも私は、介護に向きあうことを選びました。
私は理学療法士の資格を持っています。大きな施設でリハビリ部門の立ち上げを任されたこともあります。つまり、私は患者としての経験と、医療者としての知識、その両方を持っていました。それでも家族の介護は別物でした。感情がからみ、距離感をはかるのが難しく、正解が見えませんでした。
私は、残り僅(わず)かな父母との時間をつなぎとめたいと介護の合間に日記を書きました。兄や姉とのメールのやりとり、ケアマネージャーとの会話、父のひと言、母の様子。できる限り言葉に残しました。当初は、これを世に出そうとは考えていませんでした。家族が苦しんでいるのに、それをブログなどで実況したら、自分の両親への愛が偽物になってしまうような気がしたからです。