8 「頑張れ」に感謝できた日

私は「頑張って」と言われることが好きではありませんでした。頑張ってと言われると、何か大変な責任を負わされるような、自由を奪われるような、そんな気持ちになったからだと思います。

私の子どもたちがまだ幼かった頃、私は自分一人の自由な時間を確保するために朝早く起きることにしていました。

当時の私にとって、静かな朝の時間は自分だけの神聖な時間となっており、この時間が後の忙しい一日を支えていたと言っても過言ではありません。

身支度をしたら外に出てストレッチ運動をし、その後珈琲を飲む。そんな贅沢な時間が習慣化した頃、今度は少し走ってみようかと近所をランニングし始めたところから、だんだんと走ることで得られる爽快感がくせになり、次第に起床時間を早めて、3km、5km、10kmと距離を長くしていきました。

10km走っても余裕ができ、走ることに自信がついてきたある時、札幌で開催されている「豊平川トライアルマラソン」に出場してみたくなり、そのくらいなら子どもたちも留守番できるほどに成長していましたし、誰かに話せば「頑張って」と言われる気がしていましたので、私は誰にも相談することなく10kmコースの申し込みをしました。

いつものように走っていつものように帰ってくればよいのだと、その時は何が起こるか想像もせず、安易に申し込んだのです。

マラソン大会当日になり、留守番をする子どもたちには大会のことを伝え、いつも自分がランニングしていたコースである豊平川遊歩道の集合場所へ行きました。しかしいつものランニングコースは大会用にロープが張られ、想像もしていないほどたくさんのランナーたちが集まり、まるで違う場所のようでした。

本格的なランニングシューズを履き、引き締まった身体にランニング着を着た人たちが大勢です。それに比べて私はトレーニング用のジャージに普通の運動靴姿。その時点で既に気持ちは萎縮していました。どんなに気を持ち直そうとしても、無理でした。

これまでランニングとは無縁の人生を送ってきた自分が少し走れると勘違いをして申し込みをしてしまったことを早くも後悔。そんな気持ちのままいよいよスターターピストルは鳴らされました。

 

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