その後、なんとか無事にミッションをやり終えた僕は、ある日街を歩いてみようと思った。あらためて眼に止まったのは、毎日通った交差点で道路工事に従事する若者たちだった。彼らは大型の空気圧ハンマーで路肩のコンクリートを打ち崩していた。ドガガガガと大爆音で作業する姿は日本でも見る風景だ。ところがよく見ると彼らは皆、裸足だった。

しばらく見ていたが、作業の合間に移動するときにはゴム草履を履いている。そして骨ごと粉砕されそうな爆音の作業に戻るときは、なぜか裸足になっていた。「SAFETY FIRST」と書かれた壁の前で裸足で作業する彼らの真剣な表情が印象的だった。

そのことを情報誌の同僚に話すと、複雑な顔をした。聞いてみると、数ヶ月前にこの辺りで豪雨があったとき、事務所の入るこのビルの周辺は足首まで雨水が溜まり、そこに切れた電線が落ちて五歳の子どもが感電死する事故があったという。その子どもも裸足だった。このビルのある交差点は日本のODAによる大型再開発工事の向かい側でもあり、信号待ちの車に花売りの子どもたちが群がってくる場所だった。

二〇一〇年にアウンサンスー・チー国家最高顧問が自宅軟禁から解放されると、ミャンマーは「最後のフロンティア」ともてはやされ、日本から多くの企業や個人が一旗揚げようと殺到していた。僕もその一人だった。

情報誌との契約期間終了にあたり、契約を継続するかどうかの話し合いの場が持たれた。僕には契約の延長はせず独立したい意向は固まっていた。自由はやはり自分にとって価値観の最上位だった。仕事もお世話になった仲間も好きだったが、恵まれた環境と良い経験に感謝しつつ、本来の自分がやりたいことに向かいたいとして、僕は契約を更新しなかった。

 

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