精神的重荷は、彼の離婚話が少しも進んでいないという点にもあった。口で彼を責めたことは一度もない。正式に彼の妻になったのは、なんと私が六十歳になった年である。二十二歳で出会ってからよくぞそこまで辛抱したものである。

それまで結婚という形式にはあまり拘ってはいなかった、というか拘っていない素ぶりをしていた。好きな人と暮らせればそれでいいと言い聞かせていた。但し子どもは持たない、これは二人の暗黙の了解。

教員は五十六歳で辞めた。前の年の夏にはもう辞める覚悟ができていた。このままずるずる教員を続けていても、明るい未来はない。自分らしい生き方がしたいという思いだった。

当時、同い年の女性校長は「あと四年あるのにここで辞めるなんてもったいない」と引き留めた。三月に私の退職が知らされた時は、同僚は皆驚いていた。でも自分では一仕事終えたようなスッキリした気分だった。

四月から嘱託として、東京都庁での仕事が始まった。教育とは全く関係のない部署で四年間務めた。責任感からは解放されたし、出勤しない日は夫と二人でゆっくりした時間が持てた。カメラを持ってあちこち出歩いたりした。今も写真を撮るのが好きなのは、この頃の下地があったせいかもしれない。

あくせくしなくても、ゆっくり周りを眺めながらの人生もいいものだと感じていた。五年間働ける嘱託期間も四年で切り上げ、六十歳で完全フリーとなった。さあ、これからという時の出来事である。

終(つい)の住処(すみか)と決めたシニアマンションに落ち着いた頃、一通の封書が届いた。

「〇月〇日、裁判所に来られたし」。

あんなに離婚には反対だった元妻が、忘れた頃に離婚を前提に不倫の罪で二人を訴えたのである。被告として私たちは法廷に立った。テレビでしか見たことのない法廷で、宣誓もし答弁もした。何だか現実のような気がしなかった。

長い長い裁判の期間を経て、もう心身ともに疲れ果てた頃、判決が下った。きちんと養育費を払っていたこと、別居期間が長かったことが理由で私たち被告側が勝利した。これで離婚は正式に決まり、晴れて夫婦になれた。多くの時間と多額のお金がかかったが、何ものにも代えられない喜びであった。結婚できるのならそれに越したことはない。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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