豪雨が去り、落ち着いた。最後の番組のエンディングを終え、振り返りのミーティングを終え、みなが帰路につこうとしていたら、後輩たちが何やら楽しそうにしている。
聞くと打ち上げに行くのだという。そう話す後輩の目には曇りがなく、純粋で、きれいな目をしていると静かに思った。私のように死んだ魚のような目ではなかった。
だが、豪雨の数日間、確かに人は亡くなっていた。軽トラックごと川に流されて亡くなった高齢の男性もいたし、家の後ろにある山の斜面が崩れてきて家族の半数以上が亡くなった人たちもいた。
私たちはみなそのどこかの現場には行っていたし、私は崩れた山の斜面の下で中継リポートをしたし、命は守れたものの生活に関わるような農作物の被害に見舞われた人たちにマイクを向けたりもした。
豪雨が去ったから、取材が一段落したから、今日のニュース番組が終わったからといって取材で出会った人たちの生活、営み、人生は終わらない。
ただひたすらに続くのだ。どうしてそんな中にあって、飲みに行きマイクを握って歌を歌うことができるのか私には理解することができなかった。
私が子どもを産んだ頃、ちょうど県内で乳児が虐待死する事件があった。犯人の女の顔を正面からおさえるために後輩たちは何日も張り込んで、写真が撮れたと分かった時、局内は大きく沸いた。
知事に家族との話を聞いたら、横から秘書が入ってきて、イメージが損なわれるからとNGを出し、何も考えず承諾した。
カメラの画角を決めるために知事席にダミーで座っていた時、間違って収録ボタンを押したらしいカメラマンが、後でその動画を見せてくれた。私は死んだ魚の目をしていた。
必死で築いてきた人間関係から、独自ネタが飛び込んできたことがあった。とてもハッピーなニュースで、私にだけ教えてくれたことはただただ嬉しく、すぐに原稿を書き、その日の番組に間に合わせようとした。
その日のデスクは私を好ましく思わない上司で、明日に回すようにと言った。翌日の朝刊には一面トップでその内容が載っていた。
抜かれていた。私が発信できたのは、結局その日の夕方で、私はその朝刊の記事を切り取って、これ見よがしに自分の机に貼った。誰も何も言わなかった。
次回更新は10月27日(月)、19時の予定です。
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