【前回の記事を読む】可愛くない子が生まれたら絶対に愛情を注げないし、私への愛情が少しでも子へ持っていかれるなら、子どもはいらない
働きたい女
田んぼでの微笑ましい一コマを切り取った後、例えば次に向かうのは知事の定例会見だ。知事は二週間に一度、記者向けに会見をして、
今もっとも力を入れている施策について、元々予定していた原稿に基づいて語ったり、直近であった不祥事についてのお詫びをしたりする。
記者の中には新聞とテレビがいるのだが、新聞さんはやはりちゃんとしていて、知事会見には県政担当と名の付く決まった人物が毎回出席する。
そうすることで記者は知事に顔を覚えてもらえるし、質問でのやり取りを通じて、それなりに関係性を構築していくのだ。
知事の周囲を固める県の広報広聴課の職員となど、まるで旧知の友人であるかのように自然体に話している。
だがテレビはそうはいかない。入れ替わりが激しく人手が足りない私たちは、ある時はベテラン、ある時は新人、ある時はアナウンサー⋯⋯と一貫性のまるでない出没の仕方をするのであった。
会見が始まると知事がまず一方的に話す。ただひたすら話す。要するに、知事が今アピールしたいことを披露する場なのだ。
だがそこからが記者にとっての勝負だ。知事がアピールしたいことをそのまま記事にするようなら、知事の掌の上で転がされているに過ぎない。
私はそれもプライドが許さなかった。アナウンサーならそれでいいだろう。きれいな言葉で一音も間違えず質問をする、それだけに集中すれば済むのかもしれないが、私にとってはむしろそんなことはどうでも良く、会見場にいる一記者として他社に負けるわけにはいかなかった。