他の記者とは違う視点で、私はニュースを切り取ってみせる。いつもそんな気概に溢れていた。「ニュースは作るもの」という教えは、社会人一年目の私にとってそこそこに衝撃的であった。

それではまるで捏造や歪曲をしているような、白を黒だと言っているような、火のないところに煙を立てているようなものではないかと思えた。だがその教えは、実はそんなに間違ってはいないこともすぐ分かった。

定例会見において、知事は決まった尺で毎度お決まりの一人語りを披露する。そこにはまるでニュースなど潜んでいないように思うのだ。

だが、そこから「何がニュースで何がトピックになるのか」を抽出するのだ。これはこの会見だけに限らず、雑談にだって適用でき、ただの世間話のように思えることの中に実は一本れっきとしたニュースとして立てられる内容が隠れていることも少なくなかった。

そのようにして例えば取材に二本行ったとして、会社に帰りそれぞれの映像をチェックする。「音抜き」といって実際に使える声を抜き出す。

インタビューした中から抜き出すとしたら、例えば子どもが発した「うーん」とか「えっとー」とかを除いて、前後の意味をなさない言葉たちを削って「農業の大変さが分かりました」

といった違和感なく視聴者が共感できるようなお利口さんな部分のみを切り取るのだ。

「農業の大変さが分かりました」の前にはもしかしたら「去年も同じことを思ったんですけど」とか「私は何もしてないけどみんなを見ていて」とかがあったのかもしれないが、

もはやそれは関係ない。切り取られた都合の良い箇所のみが社会を歩いていく。会見も同じで、欲しい音だけを繋ぎ合わせる。都合よく切って貼る、それは単純作業だった。

原稿が出来上がるとその原稿に合わせて秒数を入れる。(それを「尺入れ」と呼ぶ)シーンごとにスラッシュを入れて文章をいくつかに分け、そのスラッシュごとに読み手が秒数を書き入れていく。