【前回の記事を読む】「ニュースは作るもの」——社会人一年目、アナウンサーの私には衝撃的な教えだった。しかし、実はそんなに間違っていなく…

働きたい女

本番が終わって、そこから一本取材に行くことも珍しくない。例えば夜、自殺した子どもの家を訪ね、父親の声に耳を傾ける。私は聞き出したいし見定めたい。

そこにニュースはあるのかないのか。

息子を失った寂しさやどこにもぶつけようのない怒りから、本来発するべきではない誹りを特定の対象に向け、攻撃するためにマスコミを利用している場合もある。私たちはそれを見極めなければならなかった。

話題性に飛びつくなんてもってのほかだ。正しいか正しくないか。伝えるべきかそうでないか。伝える価値があるのかどうか。社会が知るべき情報なのか否か。

マスコミは慎重に取材を重ね、一人ではなく複数の意見を聞いて多角的に事象を捉え、さらに多くの段階を踏んで、世に出すべきか出さざるべきかをジャッジしなければならない。

だけどそんな当たり前のことが実のところされていないのではないかと疑ってしまうようになり、疑えるだけの知識と経験を重ねてしまったがゆえに、私はあの場所を去ることにした。

(マスコミはマスゴミ)

間違いなく私は辞める前の数年間、そう思っていた。そして抗いたかった。私だけでもゴミになるまいと。