入社三日目、私は何の特訓も積まないままにお天気お姉さんとして生放送デビューを果たした。その後順調にステップアップしたわけだが、記者としての担務としては主に最初の気象から教育、そして最後は災害へと変わった。

そうしていつの間にか、どうしたってニュースを期待する側の人間になっているような気がして仕方がなくなってしまったのだ。

それは例えば台風が日本に近づいてきていると知った時、一番被害の大きな場所を、「私が」知りたいと思ったし、伝えたいと思った。

防災の大切さを発信しながらも、いつになってもやって来る気配のない南海トラフ地震を私は待っているのではないかと思うようになった。だがそんな自分の気持ちに鈍感になることも苦手だった。

ある時県内で数日間豪雨が続いた。連日連夜泊まり込みで取材を続け、ニュースを発信し続けた。全員が疲弊しつつあったが、アドレナリンに支えられ、みな眠りも食べもほとんどせず、身体のどこかを終始動かしていた。