彼──もしくは彼女──自身は何も投稿しておらず、写真もなく自己紹介もない。ただ、よくコメントが送られてくるので何度かやりとりをしたことがある。
『一人で歩く帰り道の歌でしょうか? 少し寂しい景色が思い浮かびますね。お気をつけて!』
今回送られてきたコメントを読んで私は憂鬱とは違う溜息を吐く。
この人、多分めちゃくちゃいい人。
フォロー数は数十人、フォロワーは二十人以下。近所の柿の木の方が人目に晒されているぐらいのひっそりとした趣味の個人アカウントが、私のアカウントだ。
いくら趣味とは言え誰にも知られずに壁を打ち続けるのは辛かった。私が投稿を楽しく続けられているのは、いつの間にかフォローしてくれていた彼──もしくは彼女──がリアクションをしてくれるからだ。
『ありがとうございます。歌仙敷さんも帰り道お気を付けてください』
そう返事を打つと、その返事にさえもいいねボタンがすぐに押された。
いつもの帰り道。夕食の弁当を買うためにスーパーに寄りながら、言われた言葉通り枯れ葉に足元を取られないよう気を付けて帰る。
顔も何も知らないネット上の繋がりだが、現実の繋がりよりも交わす言葉は多く、思考を晒してる分深く関わっている気がする。
リビングの落ち着ける場所に座ってスマホでSNSを開く。
画面を歌仙敷さんのタイムラインに移動させて、どんなものをリポストしているか見た。
私のような弱小ユーザーや有名なユーザーを含む短歌の投稿ばかりだったが、私以外に頻出する名前はない。
今日もコメントを送っているのは私だけのようだった。
なんでこんな私を、とは思いつつも、分かる人は分かってくれるのか、とか嬉しくもなってしまう。何者でもないくせに。
彼──もしくは彼女──がフォローしているアカウントは、新聞の校正部とか季節の言葉とか、季語紹介BOTとかそんなものばかりで、個人のアカウントはそんなにない。
私のアカウントの他にフォローしている個人アカウントといえば、本を何冊も出している短歌の先生のアカウントくらいだ。
どんな人なんだろう、と想像してみる。
知的なお兄さんかもしれない。
気のいいお爺ちゃんかもしれない。
どこかの誰かのお母さんかもしれない。
もしかしたら近所に住む同世代の女の子かもしれない。
会うことがないのが残念なくらい気が合う気がするけれど、ネットってそういうものなのだろう。
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