【前回記事を読む】(そうだ、これは蔦の葉だ)確信を得た玉響は先ほどとは違い何の躊躇いもなく、しかしそれでも慎重にそっと水鏡に両手を浸した

第二章 (つた)の迷宮に燃ゆる紅薔薇(べにばら)

気に入らぬ。

表情一つ変えることなく、いつもの澄(す)ました表情で私の足元で片膝(ひざ)をつき、主(あるじ)である私の次の言葉を冷静で気長(きなが)に待ち続けるこの男。決してこちらを見ようとはせずに。

もう幾年(いくねん)も視線を交わしていない。

父である前元首(ドージェ)の代から、その卓越した知性と戦術眼(せんじゅつがん)、そして揺るぎない精神力を併(あわ)せ持っていることで、元首を支える廷臣団(ていしんだん)、参謀団(さんぼうだん)からの絶大な信頼を得て、高い地位に押し上げられたこの男、ルシフェル。

人並み外れた優れた美貌と、若いながら完成度の高い精悍(せいかん)に鍛え上げられた肉体は、どの角度から見ても完璧だ。尽忠報国(じんちゅうほうこく)、清廉潔白、泰然自若(たいぜんじじゃく)とはこの男のためにあるような言葉だ。

揺るぎのない忠誠心、どんな無理難題でも、主の命令とあらば二つ返事で従い、如何(いか)なる難局にも立ち向かい、必ず成果を上げて帰還する。そして、なにも望まない。

血潮(ちしお)の揺らめきも感情の波もまるで感じられない無機物のような男──。

今回もそうだ。

この私が褒美(ほうび)を取らせると申しているというのに、この男は頑(かたく)なに全てを退(しりぞ)けたのだ。

「わたくしは元首(ドージェ)の指示に従い任務を遂行(すいこう)したまで。そしてもう充分にいただいております。過分(かぶん)なお心遣いは無用でございます」

なぜだ?

なぜこの男──ルシフェルは、如何(いか)なる過酷な戦乱にも真っ先に立ち向かい、先陣を切り、多大なる成果を上げ、帰還した後にも休むことなく、自らまた進んで戦火(せんか)に身を投じるのか。

なぜ、私からの褒美を頑なに拒絶するのか。今やこれは命令であるにもかかわらず、なぜこうも背(そむ)くのだ。

私は、ルシフェルが常に帯びている長剣(ちょうけん)の紋様(もんよう)──銀色の蔦(つた)の葉の複雑な絡(から)まりに視線を落とした。

まるでこの男の性癖(せいへき)※そのものではないか。

このような無益で極めてくだらない対話、核心を避(さ)けた空虚(くうきょ)なやりとりをもう何度繰り返してきたことか。

軍師として右に出るものなしの、脳内が軍事戦術に侵食されきっている堅物(かたぶつ)男を相手に一人相撲(ひとりずもう)を続けるなど私らしくもない。