【前回記事を読む】水鏡…?――艶やかな水晶の縁取りに両の手のひらをそっと乗せ体重をかけ、おそるおそる水面を覗き込んだ

プロローグ 玉響(たまゆら)

こめかみを通り後頭部まで繋(つな)がっているそれは、何かに怯(おび)え脆弱(ぜいじゃく)性に傾いている今のその人型存在が身に着けるには、精神的にも肉体的にもあまりに荷が重すぎると見える。

額の中央の石は、高潔さを漂わせる無色透明から不穏(ふおん)な濁(にご)りのある白、新緑の緑や紅葉色(こうようしょく)、または鳩(はと)の血の色と表現される巫術(ふじゅつ)的なルビー色や、この世の果てか地獄を連想させる禍々(まがまが)しい深い黒、燃えたぎる炎の色彩など、何色にも変化しうねりを見せ続けている。

それはまるで、とことん受け身的で磨耗(まもう)され続けた精神と、そのたび毎(ごと)に柔軟に形を変えてきたその人型存在の真髄(しんずい)の複雑性を、瞬時に感知しているかのようだ。

さんざん俗世(ぞくせ)に晒(さら)され研磨(けんま)し尽くされ、生み出された自然物である水晶の「玉」が、その人の深淵(しんえん)たる由縁(ゆえん)を映し出そうとしているかのごとく様々に変容し、音の波と共鳴し響き合っているともいえる。

(これがわたし……)

記憶のない喪失や空虚(くうきょ)、あてどころのない不安定さというよりはきっと、自身の使命とも呼べる強固な意思で積極的に受け入れ続けた結果、翻弄(ほんろう)され途方に暮れているのだ。

(行き着くところがあるはずだ)

幽静(ゆうせい)で閑寂(かんじゃく)、善悪の存在しない孤独の骨頂(こっちょう)であるこの場所において、いまだ自らは曖昧(あいまい)で不確かであり続けるようだ。