しかし、その脆弱な無気力さに甘んじ混沌(こんとん)と漂い続けるよりは、たとえ全てを感受した末に絶望の闇に再び堕(お)ちて朽(く)ちようとも、もう一度また次を、そして全てを観(み)てみたいと決めたようだ。

改めて水面を、今度はじっくりと観察し始めた。白く細い指先の腹でゆっくりと水鏡の表面を右へ一回、左へ一回撫(な)でた。

水面に映る青ざめた顔が、ゆらゆらとした小さな波紋で歪(ゆが)んで見える。次第に、その顔面が紅味(あかみ)を帯びていく。

その人型存在の頬(ほお)はいまだ血色なく表情もほぼ無に近いのだが。だとすれば、水鏡がその意識に反応し変化し始めたということだ。

紅味は水鏡に映し出された顔面だけに留(とど)まらず水面全体にまで広がり、やがては毒々しい深紅色に染まりきった。

(鉄のにおい……?)

その人型存在はもはや躊躇(ちゅうちょ)なく、両の手をそこに浸(ひた)した。

永遠の闇夜のようなこの場所にたった一人、水鏡を覗き観るその人型存在を「玉響(たまゆら)」と名付けよう。(了)


※玉響(たまゆら)…玉が揺らぎかすかに触れ合う様子の古語で「しばしの間」「かすかな存在や気配」を意味する。大和言葉で「ほんの少しの間」という意味。宝石などを眺める時に光の反射で煌(きら)めくほんの一瞬を表す言葉。