【前回の記事を読む】大学生活になじめず、休暇届を出して向かったのは「金峯山」。故郷にいた頃のように山々を歩き、草花を愛でたいと思った

第二章 天部の将軍、帝釈天と合心した空海の歩み

日暮れ前に吉野川を渡った真魚は、迷わず山に足を踏み入れ、頂(いただき)を目指して山道を登っていった。自然の中に身を置くことで気持ちが昂っている。登れるところまで登り、疲れたら露天で寝てしまえばよいという魂胆であった。

季節は晩秋だった。夜になると寒気が足元から這い上がってきた。それでも、真魚は浮き立つ気持ちを抑え切れずに山道を進んでいった。自然の中に身を置くことで、忘れかけていた感覚が次第によみがえってくるようだった。

やがて日は落ち、辺りは闇に覆われた。真魚は木々の間から差し込む月明りを頼りにゆっくりと歩いていた。すると、少し離れた場所から薪の爆ぜる音が聞こえてきた。誰かが焚火をしているようだ。音の鳴っている方に近づいていくと、赤々と燃える炎が見えた。

真魚は木陰に隠れ、ようすを窺った。焚火の傍らには剃髪の男が腰をおろし、煮炊きをしている。瞼を閉じ、うたた寝をしているように見える。修行僧だろうか。真魚はその場を離れようと後ろを向いた。

「こちらに来なさい」

不意を突く声に、真魚の足は止まった。

「学生さんかな。さあ、こちらに来なさい」

綿のようにやわらかな声音だった。真魚はその声に吸い寄せられるようにして木陰から顔を出し、男のもとに近づいていった。

焚火のそばに立つと、男の顔が見えた。簡素な法衣を身にまとった男は、鍋から木の椀に粥を掬い、真魚の眼前に差し出した。

「食べなさい」

真魚は素直に椀を受け取り、地べたに座して粥をかき込んだ。空腹に染み渡るうまさだった。

「よほど腹が減っていたようだ」男は目を細めた。「もう一杯いかがかな」