【前回の記事を読む】原因の分からない辛さ、でも「あなたは病気じゃないよ!」――どこに行っても言われる言葉。心の底まで苦しかった…

第一章

まるで天国から地獄――そして

ストレスが祟ったのだろうか。ある日、家でテレビを見ていて、自分が口がきけなくなっているのに気づき、“あああ、しゃべれなくなっちゃった”、仕方ない、こうやってテレビ見て生きて行こう! となぜか冷静だった。

それを次の日出勤して社長に伝え、すぐに医者に行き、針灸院に行った。

「私、治りますか!?」

と口パクで医者に聞くと

「大丈夫ですよ。1か月毎日来ていただければ治ります」

と言っていただいた。とにかく毎日、4000円払って通い続けた。おかげで治った。まるまる1カ月間だった。やっと社長は、事務所を辞める決意をしてくれた。

私には一銭もなく、社長にも全くなく。

社長は、結局平社員、ただの友人の野田さん、彼でもあった。もともと、嫌い同士ではなかったので野田さんのお母様がいる福生に夕食を食べに行ったのを覚えている。

この数日後、野田さんのお母様の体調が悪くなり、三鷹の病院に入院した。

お母様を支えながらタクシーで病院に向かったのを思い出す。お母様を支える私に、彼から「おまえならできるから」と言われた言葉がなぜか忘れられない。野田さんが私の第一の理解者であったのは事実だったのである。

数日後、お母様は亡くなった。

野田さんは非嫡出子なので、まさに天涯孤独の身となってしまった。

「オレはお金がないから、苦労するからダメだ」

と言っていたが、さすがにひとりは―― 。結婚しようと思ったようだった。

いろんな人によく考えた方がいいよ、と言われたものの、私も39歳、親を安心させたい。お金は何とかなる。また、野田さんのことは嫌いではなかったので、一緒になる決意をした。