【前回の記事を読む】19歳で不倫、教会との出会い、そして孤独と向き合った日々。『あたしはあたし』で在り続けるために選んだ人生とは【エッセイ】

第一章

ひとりで生きてゆけるかな

言葉ではピンとこないが、心深く深く深く、底までも苦しかったのだった。近くの病院を、3か所くらいは訪ねただろうか。

どこに行っても、「あなたは病気ではない」と言われる。また、「ひとり理解者がいれば生きてゆかれる」と言ってくださったお医者さんもいた。

それでも解決にならず、“ノイローゼ”ではないかと様々な本を読み、著者に会いに行った事もあるが、「あなたは病気じゃないよ!」と言われ、解決にはならなかった。

仕方なく、行ったこともない、場所も知らない都内の大学病院を訪ねた。たどり着いたが終了しており、予約だけはできたのだった。

その後、神経症と診断され、少々薬を服用。何とか治療することができ、おかげで今現在に至るまで生きてこられたのだった。

自分はこれから何をして生きてゆけるのだろうか。自分は何者なのだろうかと、三岸節子の本を読んだり、実際に近くの女流画家に会いに行ったり、ユトリロ、モディリアーニという人は、どんな人か探求してみたりした。

学生時代、写生大会のときに絵を描くのはすごく楽しいと思ったことが忘れられないからだった。そんな中、紫式部の性格が割と自分に似ていることを知った。

“これだ”と半信半疑だったが解決する気もした。思ったことを文に書くことだった。紫式部は『源氏物語』を書かれた方だが、私はどんな人物だったのか、知りたかった。

人とうまく付き合うのが苦手で、ひとりを好み、書くことを生きがいにしていらした方だったようだ。私もひとりで何かに没頭できればと望んでいたのだった。

そう、あの新宿の書店でピカソの本にあった“多くの人の誤解の上に生きている” という言葉が、ピタ!!ときて何か救いを感じ、このひと言がずっと心に残った。

自分を、おぼろげながら見つけられた気がしたのだ。

人生は60代で終わって、いやきっと終わるだろう、それまで頑張ろうと生きてきた気がするが、すでに70歳が近く、こんなところまで来てしまった今。まだ先があるのだ。

とにかく書いてみることにしようと書き始めると、忘れていた頃のことが浮かび上がってきたのだった。

現在は夫がいるおかげでさみしくはない。だから、きちんと生きていられる。できれば本当の意味での理解者がほしい。もし本書を読んで理解していただけるのであれば、何という生きがいになるだろうか。

あなたは、ひとりで生きてゆく自信がありますか!?