6 かまくらの中で思ったこと

連日雪の降る札幌。

大雪の中、今朝も早くからご近所の方と一緒に雪かきに精を出していました。

「いつまで続くのでしょうねぇ」

「鬱になりそうだー!」

「パートナーシップはいつになるのかしら」

「市道の方が終わらないから中道はまだこられないかもと、先日業者の方が話していましたよー」

「先日埋まっていた車の方はあの後どうしたかしら?」

「JAFの方が3時間かけて何とか(車を)引っ張り出していましたよ」毎回こんな感じの会話をしています。

他愛もない会話の中に実は大切な情報が入っていたり、他愛もない会話で辛い気持ちを発散させたりして、お互いに「気持ちのやりくり」をしているなぁ、と感じています。

昔は「井戸端会議」というものがあって、主婦が洗濯や水汲みなどする時にそこに集まって情報を共有したり、気持ちを発散させたりというのがあったようですが、今はこのような「他愛もない会話」をする場所がなかなかないものだと感じます。

この、井戸端会議的なもののよいところは、お互い気持ちを吐き出しながらも、深入りはしないところだと思います。

少しネガティブな話になっても、そこで「それで?」「どうして?」などと聞くことはありません。

「まぁ、ありますよね~」といった感じに収まるので、後から話し過ぎたかなぁと、落ち込むこともありません。

現代このような環境が減っていく中で、私はSNSに対して人の気持ちの呟き場所としても一つの価値を感じています。

私自身も呟きますが、たくさんの投稿から「あぁ、わかる、わかる!」「こういうことあるよねぇ」などと思いながら、孤立した世界にふぅーっと新鮮な風が吹くような、そんな気持ちになることがあるからです。

時代によって媒体の変化はありますが、本来人の求めているものは昔からあまり変わらないのかもしれないなぁ、と雪かきでできあがった玄関前の雪山をざっくりと掘って作った小さな「かまくら」から、広い空を眺め考えていたのでした。

 

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