第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉

一 「結婚生活」の苦しみの一つの要因となった「アルコール依存症問題」

『人の地に倒れて還って地より起つが如し』〈『御書(一五九一頁)』〉

原因は自分にあるということを知らずして、本当の解決はあり得ないということを知るためにその時間が必要だったのでしょう。

人や周りに原因を求めている内は解決が難しいのです。自分が紛動(ふんどう)されているわけですから、 いかようにも変わってしまいます。たとえ周りの状況が変わっていったとしてもです。

自分はACなのだと感じて悩む人の姿は、繰り返される事実の中で痛みや苦しみを感じなくなり、自分の心をなくし、何故か自己不全感に苛まされていくのです。私自身もそうでした。

それは、戦後に育って「自由と平等」という一見すれば至極当たり前で素晴らしい思想により教育されながらも、理想と自分の現実とを比べ、違いを感じるからなのでしょうか。

しかし、よく考えてみましょう。

私たちは生まれた時から平等だったでしょうか。この世に生を受けた時、もう既にそれぞれに違いを持って生まれているではありませんか。その違いの上に、もし物理的に一斉に差を埋めるべく何かを与えたとしましょう。結果はどうなるでしょうか。やはり違いがあるでしょう。もし平等にしようとすれば、与え方に不平等が生じてしまいます。

では、何で差別があるのでしょう。

ACの学びにたどり着き、その学びの中で、AC特有の「傷つき悩む姿」を見て、私は思い至ったのです。そうならなければならなかった原因は何だったのかと。