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小学生のとき、毎日同じ湖の夢を見た。

夢の中でサトルは一人、遊覧船に乗っていた。遊覧船には客どころか船長の姿さえなかった。船は湖のちょうど真ん中あたりに泊まっている。カナヅチのサトルには岸まで泳ぐことなど考えられなかった。

桟橋には数名の人が立っていたが、誰も助けに来てくれそうにない。サトルは岸に向かって泣き叫んだ。しかし、風が邪魔をしているのか、誰も気づいてくれなかった。サトルは甲板に立って、何度も助けを求めた。そのとき強風が船を大きく揺らした。

サトルはバランスを崩して、船の二階の手すりを乗り越え、海に落ちた。

「わぁー」

その叫び声でサトルはいつも目を覚ました。気がつくと目からは涙があふれていた。

母親が部屋に入ってきて、サトルの背中を撫でながら、

「また恐い夢を見たのかい?」

と聞いた。

サトルはうなずき、夢の話を母に語った。母親の心配そうな顔は今でも覚えている。

サトルには幼少期の記憶がなかった。一番古い記憶として覚えているのは小学校の入学式だったが、それすら家のアルバムにあった写真を見ただけの記憶だったのかもしれない。

それ以前の写真は一枚も残っていなかった。同級生に話を聞くと、個人差はあるものの、普通の子供はだいたい三、四歳くらいからの記憶があるらしい。そのうえ赤ちゃん時代の写真を持っていない同級生は誰一人いなかった。

自分になぜ幼少期の記憶がないのか? 幼少期の自分がどんな子供だったのか? そしてなぜその頃の写真を両親は一枚も撮らなかったのか? 

自分は両親に愛されていないのではないかと疑問に思うこともしばしばあった。中学生になって思春期を迎えたサトルの鬱憤が爆発するのは、当然といえば当然のことだった。

中学一年生の夏休みから不良の先輩と屯(たむろ)するようになり、二年目からは中学校へも通わなくなった。喧嘩して傷だらけで家に帰ることも度々あった。注意する母親に暴力まで振るうようにもなった。

母親はなぜかサトルに殴られながら、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。おとなしい父親はそれを見て見ぬ振りをしていたが、一度だけサトルを呼んで叱りつけた。

しかし、サトルに頬を殴られると、それっきり何も言わなくなった。母親は何度も中学校に呼び出され、補導されて警察に呼び出されたことも数知れずあった。そんな親の苦労を顧みずに、サトルは母親から金をせびり、不良仲間たちと夜の繁華街を遊び回った。