明るい葬式
丸井泰三の葬式に出席した参列者は、皆驚くような服装で葬儀場に現れた。ある者は社交ダンスの衣装を着ているかと思えば、ある者は大胆な水着姿、またある者は派手なジャケット姿等々。
喪服を着ている者は誰ひとりいなかった。通りすがりの人たちは、まさかそこが葬式の会場だとは誰も思わなかったことだろう。
しかし、そこには丸井泰三の最期の願いが込められていたのだ。彼の遺書には次のように書かれていた。
「私の人生は素晴らしいものだった。これも、私が作り上げたこの会社をこれだけ発展させてくれた社員の協力、私が苦難に挫折しそうになったときに支えてくれた友人たち、そして何より妻をはじめとした家族みんなの愛のおかげであると確信している。感謝の念に堪えない、そう心の底から思っている。
私は自分の人生に満足しており、死を迎えるに当たって、悔いを残すことはひとつもなかった。本心から言うことができる。だから私の愛する皆さんには、私の死を悲しんでほしくはないのだ。
そこで、最後の贅沢な願いとして、私の葬式は明るい葬式にしてほしい。歌や踊りなどを皆さんには楽しんでいただき、満足して帰ってもらいたいのだ」
最初は世間体を気にしていた家族も、故人の遺志はやはり尊重すべきだと考え、世にも不思議な葬式の招待状なるものが親類縁者、友人たち、会社関係者へと送られることになった。
『丸井泰三が令和四年二月十五日、肺がんにより享年八十二で永眠いたしました。生前は格別のご高配を賜り、ありがとうございました。ところで、丸井泰三の遺言により、葬儀は明るい歌と踊りを交えた楽しいパーティー風にしたいと考えております。
つきましては、ご賛同いただけます方々のご出席をよろしくお願い申し上げます。
なお、ご出席の際の服装につきましては、より明るく、より楽しいものをお選びくださいますようお願い申し上げます。ぜひ素晴らしいショータイムにしましょう。日時は……』
この招待状を受け取った親戚や友人、会社関係者の中には、この非常識な葬儀に対して、戸惑いを隠せなかった人たちも大勢いたようだ。結局、丸井泰三の葬式に参列したのは彼の家族、妻と娘、息子の三名と友人二名、それに会社の元部下三名という思いのほか少ない人数となってしまった。
天国でその様子を見ていた丸井泰三は、
「やはり今の日本では、まだこういう葬式は先進的すぎて、無理があったのかな」
と少々残念がっていた。それでも、集まってくれた人たちの派手な衣装には、それなりの満足感を覚えていた。