【前回の記事を読む】母は僕に殴られながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と…両親には愛された記憶どころか、幼少期の写真すら1枚もなかった。
湖の記憶
3
残りふたつの湖の撮影は延期し、この湖がなぜ夢の中に現れたのかを調べるため、まずは車で湖の周辺を回ってみることにした。
何か新しい発見があるかもしれない。
車で湖を一周しながら、ときどき車から降りて写真を撮った。すでに太陽は山の向こうに消えゆこうとしていた。サトルは残りの調査を明日に回すことにし、車中泊する場所を探した。
翌朝早く目覚めたサトルは、早速昨日の続きの調査に乗り出した。
道路は途中で湖を離れてしまい、湖の姿がまったく見えなくなった。徒歩で湖のほとりまで行こうと決め、最初に見つけた駐車場に車を停めた。
湖を目指して歩くと、五分ほどで湖が見えてきた。湖のほとりで前方と左右の風景を写す。昨日撮影用の写真を撮った高台がすぐ左上に見えた。もう四分の三の道程を走ったことになる。しかし、新たにサトルの記憶をよみがえらせる風景はひとつもなかった。
駐車場に戻ると、湖と通りをはさんだ反対側に古いお寺があった。サトルは何か得体の知れないものに導かれるように、お寺の境内に足を進めた。
寺を歩いていると、境内の奥にひとつだけ粗末な墓標がぽつんと立っていた。墓標に歩みよって裏を見ると、そこには死者の名前と、その誕生日と死亡日が書いてあった。
森本悟
平成三年八月二十一日生誕
平成十年四月四日死亡
サトルの誕生日は墓標に書かれているのと同じ平成三年八月二十一日。そして死亡日はたぶんサトルの記憶が始まった小学校入学当時に該当する。自分の墓標がなぜこんなところにあるのか? これがただの偶然なのか?
もしかしたらこれは、サトルの死んでしまった記憶を葬っている墓標なのか? もしそうならば、この墓標の下にはサトルの幼い記憶が埋もれているはずだ。
駐車場に戻り、車のトランクからスコップを取り出して、墓標へ戻った。墓標のまわりに誰もいないのを確認し、すぐに墓の下をスコップで掘り始めた。