【前回の記事を読む】親を親とも思わないような卑劣で悲しい現実が少子化に拍車をかけている

九 「そばにいてほしい」が子ども心

M とは言っても、これから言うことは自分よがりの勝手な言い分に聞こえるかもしれないので、子育て中の親たちや世間のいろんな立場にある人たちがいかに反応するかによっては、非難囂囂(ごうごう)になる可能性が大きいと思えることから、前もって世間様にはお許しを請うことで言っちゃおうかな。

W そういうふうに言ってたら、余計に聞きたくなるのが人間の性というもんだよね。早く言ってごらんよ。

M それじゃ言いましょう。このことは、少子化問題と直接関係はないと思いつつも、よく考えてみな。幼子たちが親に抱く根本的な想いとは一体何かと考えたときに、いつも自分のそばには親がいてほしいという、たったそれだけの素朴な感情を心の奥に絶対持っているんだよ。

ところが、今の世の中では国を挙げて夫婦ともに働くことを推し進めることで、子どもは社会資源に頼る方法を取っているのが現状でもあるんだよね。

これじゃ、親は良くても、幼子の親に対する純粋な気持ちを親たちは十分理解していると果たして言えるのだろうか、ということに大きな疑問を持つところなんだよ。

W 何!! それは端的に言うとね、子どもが生まれて間もなくから施設など社会資源にお世話になるという状況のことで、それは幼子にとって決していいことじゃない、と言いたいのかね。つまり、社会全体で育てていく考えに疑問ありということね。

M そうなんだよ。子どもを育てるという基本は、いつの世であっても両親だけにあって、少なからず小学校にあがるまで、言うならば子どもがしっかりと物事の判断ができる年齢までは、常に親元で全面的に面倒を見ながら育てていく役割と義務があると思うんだよ。

その四六時中が無理ということであれば、そこにじいちゃん、ばあちゃんの存在があるということも同時に忘れちゃいけないね。

W なるほど、その考えには大きくうなずけるところもあるわね。何でも一説には、社会資源ばかりに頼った子どもよりも、常に優しさと包容力を持って懸命に育てている親の姿を感じ取っている子どものほうが、親に対する安心感と嬉しさや楽しさから感謝の気持ちを精一杯抱くことで将来、親を決して裏切ることのない人間性豊かな人として育っていくと嘘か誠か言われているよね。