そうだ、やっと思い出した。
暗い洞窟の奥、祭壇に祀(まつ)られたのは、私自身(の頭)だったのだ。(了)

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玉響(たまゆら)の今の状態を人としての感覚で説明するならば、鼻腔(びくう)から侵入する湿気と生々しい血肉(ちにく)のにおいが味覚にまで作用して、激しい嘔気(おうき)を感じている。全てを吐き出してしまえば幾分(いくぶん)楽になるものの、人型の存在でありながらも人ではない玉響には、それは到底(とうてい)不可能なのだろう。
白銀の毛髪や纏(まと)っている薄衣(うすごろも)にはいまだ濃密な甘い香りが残り、身体が揺れるたびに感覚神経を刺激し再度意識が遠のきそうだ。
しんと静まり返っている「無」の場所に在る玉響には、自然発生的な音は確かに無いといえるのだが、両の内耳(ないじ)には、距離や時間を超えた何かが響いて語りかけるのだろう。
赤く染まる水面(みなも)に両の手を浸(ひた)し、そこに囚(とら)われたたままであった玉響は、次第に自分自身に意識を取り戻した。
両の手のひらを目の前に掲(かか)げると、腕を伝った雫(しずく)が肘(ひじ)からぽたぽたと落ちていく。玉響は一つ一つの状態を確認し、目をつむり、深い呼吸を二度三度した後、ほぼ平常心に戻っていった。
先ほどまでおどろおどろしい赤に染まっていた水面も、玉響と同調して透明感を取り戻しつつある。
闇夜よりももっと深く暗い不確かなこの場所では、この水鏡(すいきょう)だけが玉響にとっての全ての手掛(てが)かりなのだと、再確認したようだ。
水鏡の淵(ふち)に組まれた大小様々な水晶と、微(かす)かに波打つ水面の光が反射し合っている。最初はどちらから発し始めた輝きなのかもわからない。
――ここではあらゆる事象が不確実性を帯びている。
三次元世界において、人間は不確実であることを探求しては、人知(じんち)を超えるものに関してとりあえず「有るようでもまだ無いもの」としている。五感に触れる事象だけが「有る」とか「在る」と認識されている──
さらにもう一回深呼吸をし、再度水鏡の水面(みなも)に視線を落とした。
中くらいの大きさの水晶は、玉響の手のひらの窪(くぼ)みにちょうど添う大きさで、それらに両手をそれぞれ乗せて先ほどと同じように前かがみに体重をかけると、ぴったりと隙間(すきま)なく吸い付いた。
キンと冷たい透明度の高い氷のような水晶玉だが、玉響にとっては適温なのか、もしくは温度という概念(がいねん)すら無いのか。