日記が里へ帰って程なく書かれたことは、日記に現在を表す言葉が多く見られることによってわかる。「いま」「けふ」「今宵」「またのあした」「よべ」「けさ」「またの日」の例を挙げる。
いま、里よりまゐる人々は、(一三一) 寛弘五年九月十日
いま一間にゐたる人々、(一三三) 寛弘五年九月十一日
けふ伊勢の奉幣使(みてぐらづかひ)、(一三七) 寛弘五年九月十一日
今宵の御まかなひは宮の内侍、(一四三) 寛弘五年九月十五日
今宵の儀式は、ことにまさりて、(一四八) 寛弘五年九月十七日
今宵は、おもて朽木がたの几帳、(一四九) 寛弘五年九月十九日
またのあしたに、内裏の御使、(一六〇) 寛弘五年十月十七日
今宵少輔の乳母、色ゆるさる。(一六二) 寛弘五年十一月一日
今宵は無きものと思はれてやみなばやと思ふを、(一七三) 寛弘五年十一月十七日
よべの御おくりもの、けさぞこまかに御覧ずる。(一七四) 寛弘五年十一月十八日
またの日、夕つかた、いつしかと霞みたる空を、(二一八) 寛弘七年正月二日
寛弘五年十一月二十八日に「去年」と言っているのは、寛弘四年十一月の賀茂の臨時祭を指すと考えられる。
兼時が、去年(こぞ)まではいとつきづきしげなりしを、(一八四)
日記を書いている時に、作者はそれを現在と意識していることがうかがわれる。
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