【前回記事を読む】純白のレースの服に身を包んだイザベラは、目の覚める様な美しさであった
Ⅰ 少女
第2章 聖ジョルジョ祭
それは1482年、イザベラが8歳の時であった。ローマ法皇シクストゥス四世の甥ジェラロモ・リアリオがフェラーラに目をつけ、法皇とヴェネツィアを味方に引き入れて、フェラーラを解体すべく宣戦布告してきた。
これに対し、イザベラの父フェラーラ公爵エルコレ一世はフェレンツェ、ナポリ、ミラノの支援を受け、ここにフェラーラ戦争の火蓋が切って落とされたのであった。
戦況は悪化し、ヴェネツィアの軍隊がフェラーラに攻め込み、エルコレ一世は子供たちをモデナに避難させた。
その直後、フェラーラは最大の危機を迎えた。エルコレ一世の病臥である。彼は持病の痛風が悪化し、まさに死の淵に瀕していた。
しかし、その時、イザベラの母エレオノーラ公妃がフェラーラの国民に向かって、祖国を守るため戦うことを涙ながらに訴えた。
その言葉に国民は奮い立ち、フェラーラは戦い抜いたのである。フェラーラの国民は、自分たちの国土を守るため、自ら武器を持って立ち上がり、押し寄せるヴェネツィア・法皇連合軍に立ち向かっていった。
そして、遂に1484年、「バニョロの和」によりフェラーラ戦争は終結し、フェラーラは滅亡を免れたのであった。
「幼い頃から私は、泣き言を言うたびに母からもの凄く𠮟られました。『それでは国を守れませんよ』と。『泣き言を言った者から滅びていくのです』と」
当時のことを思い出しながらイザベラが語ると、叔母は驚いて言った。