「住職と私は前々から慈善事業(じぜんじぎょう)を始めたいと考えていて、その一環(いっかん)として何十人でも自由に集まれる大きなお寺を建てる計画(けいかく)をこれから進めるのだけど、大阪に来て私達と一緒に慈善事業をやらない?」と。
お姉様がそう言い終える前に、私は心の中で、「行く!」、と決め、そのまま話を聞いていた。それどころか、夫と子供達に大阪に行くことを何と説明(せつめい)すればよいのか、すでに説明する言葉の方を考えていて、行かないという選択肢(せんたくし)は欠片(かけら)もなかった。
前々から夫婦仲が悪くて、渡(わた)りに船(ふね)とばかりに離婚(りこん)をして、一人大阪に行くという話ならいざ知らず、こんな理不尽(りふじん)で身勝手(みがって)で無鉄砲(むてっぽう)で無謀(むぼう)な話もちょっと無い。それは重々承知(じゅうじゅうしょうち)の上なのだが、その時の私の考えはこうだった。
定食屋の仕事は順調。私が一時的にいなくても何とかなる。娘は社会人一年生。息子は大学一年生。私の手はすでにいらない。
私が夫より一足先(ひとあしさき)に大阪に行き、ご住職様とお姉様のお手伝いを一生懸命にし、一刻(いっこく)も早く事業を波に乗せ、乗せたら定食屋をたたんで一刻も早く夫にも大阪に来てもらい、四人で慈善事業(じぜんじぎょう)ができたらこんな素晴(すば)らしいこともない、と思ったのだ。
夫に一日でも早く大阪に来てもらう為にも、私は使いっ走りでも何でもよいからお姉様を手伝い、寺で一生懸命(いっしょうけんめい)に働こう、と心からそう思ったのだ。
そして、自分達夫婦ごときの人生に、もしかしたら世の中に貢献(こうけん)ができるかもしれないという、想像(そうぞう)すらしたことのない話が舞(ま)い込んだことを思うと、私は改めて、重(かさ)ね重(がさ)ね、ご住職様とお姉様に感謝せずにはいられなかった。
感謝に報(むく)いる為にも、一刻も早く大阪に行き、慈善事業のお手伝いをさせてもらいたいと心底(しんそこ)思い、気持ちはすでに大阪に飛(と)んでいた。
だが、問題はあまりにも無謀(むぼう)過(す)ぎる私のこの思いを、夫と子供達にどう説明(せつめい)すれば理解してもらえるかだった。慈善事業と聞くと、一見聞こえは良いが、何といってもこんなご時世(じせい)だ。子供達でさえ怪(あや)しむだろう。
【イチオシ記事】帰ろうとすると「ダメだ。もう僕の物だ」――キスで唇をふさがれ終電にも間に合わずそのまま…
【注目記事】壊滅的な被害が予想される東京直下型地震。関東大震災以降100年近く、都内では震度6弱以上の地震は発生していないが...