第一章 介護は人生の循環
介護は人生の循環
自分が認識していると思っていることでも文字に書き表してみて感動したものに「人は生きていればただのひとりの例外もなく老いて介護に直面する」がある。
大きく深呼吸をして、もう一度その文を読み返してみた時、その字面だけで本意を読み取っていないことに気付いたのだ。
私は「介護」といえば、私たち高齢者が受けることだと思い込んでいたということである。
私たちを介助介護している若者たちも三十年後、五十年後には老いて家族、他人の違いはあっても人の手を借りて介護してもらう側になる、これは人生の循環ともいえる。
すると「人に寄り添うやさしい介護」のその体験で培ったものは後輩たちに受け継がれ三十年後、五十年後には彼ら自身の上に還ってくる。
このことに気付くと介護を受ける「負い目」が少しだけ軽減したのと同時に「感謝と激励」は彼らの将来へのエールでもあると思えたのだ。
彼らが私たちの介護を通して学んだことは退職と共に終わるのではなく彼ら自身のためにその下の世代の手本となっていくに違いない。
これこそが「人生の循環」である。人は変わってもこの「やさしさ」「やりがい」は人が存在している限り脈々と続いていく。「世話され上手の世話上手」といっていい。「終の棲」で学んだこのことはすべての人々にとって明るい灯になったといえよう。
大学生の就活に変化
今年の夏ごろのことだったと思う。NHKのニュースで「最近の大学生の就活事情が変わってきている」と報じられた。それの背景には自然災害(異常気象、森林火災、海水温の上昇など)があるというのだ。
給料や待遇よりも「やりがい」が求められてきたという。つまり「地球にやさしい」(これはひいては人にやさしいにつながると思う)を「やりがい」と考えているらしい。
この時、私は今年大学を卒業してこのホームに入ってきた青年が「介護は人相手だからやりがいがある」と言ったのを思い出した。
彼の日々の言動を見ているとうなずくことが多い。彼には「実直で一生懸命走り回っている」という印象をもっていたからだ。
このことをケアマネの谷野さんに話したところ(彼の名前は明かしていないのに)「その実直というのがぴったりね」と言った。彼女もよく人を見ていると私はうれしくなった。
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