第一章 青天霹靂 あと377日
二〇一五年
十一月二十九日(日)
兄が見舞いに来たので、外出許可をもらい一時帰宅することにした。
母は髪を後ろに束ねようとしているが、なかなか出来ずもどかしげだ。どうやら、麻痺症状が少しずつ手にきているようだ。
「まさか、お母さんの車椅子を押すとはな……、このあいだ旅行いった時はあんなに元気だったのに……」。
兄がポツリとつぶやいた。 病院を出る前、母がトイレに寄りたいと言い、一人でヨタヨタと婦人トイレに入っていった。
そして程なく、「あきひこー、あきひこー」と、母が慌てて私を呼んだ。母は既に一人ではズボンを下すことも便器に座ることも出来なくなっており、しかもその事実を当人も初めて知ったらしく、ひどく狼狽していた。
介助して用をすませた後、ズボンを上げてやろうとした時、不意に母の腹に手が触れた。
母の下腹部には、私たちを産む時にできた帝王切開の傷痕がある。子供のころにそれを見たことはあっても、触ることはなかった。
私は、この腹を破って産まれてきたのだと思った途端、あふれる涙を抑えることができなかった。命がけで私たちを産み、命がけで育ててくれた母は、今、なに恥ずることなく、子の助けを受け小便(いばり)をしている。