第一章 青天霹靂 あと377日
二〇一五年
十一月三十日(月)
日に日に体力と気力を失いつつある母を見るこの頃、私の吃語(きつご)がまたひどくなった。普段は何ともないのだが、強いストレスを感じている一時期はいつもそうなる。
母は「お前のその吃り、お母さんが治してあげるね……」と言った。意味が分からず聞き返せば、ニコニコと笑みをうかべ、「お母さんが持っていってあげるから……」と、言ったきり私の問いをはぐらかした。
少しして、あれは、自分が死ぬ時に、私の吃語を引き受けて、あの世に持っていくという意味であろうかと思い至った。初めにそれを言われた時、まだ母が発する言葉は正常であるように聞き取れていたので気づかなかったのだが、母本人は、ずっと前から発語に問題がある事を自覚していたらしく、それが脳腫瘍患者特有の「失語症(しつごしょう)」というものであることを、母を担当していた看護師から教えられた。
失語症とは、発声器官そのものの障害でなく、言語中枢の損傷により発語や言葉の理解が困難になる病気だ。そして、その初期は吃語症と似た症状を起こす。
だから母は自分のこれは息子の吃語を治す代償なのだと考え、自らの症状の進行と反比例して、私の吃語が治っていくものだと半ば本気で信じようとしていた。
つまりは、このあいだの放射線が嘘であったのを、母は気づいてしまったという事だろうか……。