【前回の記事を読む】偉人と言えど生まれは普通の家庭。強い精神、知恵、明るい心で夢を実現させたのだ――小学生の私は彼らに自分の人生を重ねていた
2 夢多き小学生時代
-将来の夢実現への宣言-
そして母は、私の社会科以外の関心と成績がパッとしないことを案じて、小学4年生の夏休みに、私が欲しかった宮田の自転車の先渡しと引き換えに礼節と精神修養、そして学力向上を目的とした神道系の団体が主催する「小学生練成会」に参加をさせたのであった。
2泊3日の内容は、偉人のお話、夢のお話、両親への感謝、勉強の意義、社会貢献について等であった。
そこで、以前から京都に生まれたことを幸運に思い、平安時代から江戸時代末期まで都として歴史の中心舞台となり、それにまつわる史跡と遺跡を調べることと、前期・後期難波の宮 藤原京 平城京 大津京 長岡京 平安京遷都についての関心があったので、「夢を描こう」という内容の講話に感銘し、将来の夢は、一気に飛躍して「歴史学者=博士」になり、神武建国の地、奈良県立橿(かし)原(はら)考古学研究所に進みたいと、数百名の参加者の前で決意発表をすることとなった。
この夢宣言は、この時一回限りで以降は一度も語ることはなかった。いや、語れなかった。それは、「良い夢は正夢とする為には他に語らず、悪夢は消すために語れ」と言い伝えがあるように、夢は語ると消えてしまうと思っていたからだ。
子どもの将来を期待する言葉として「末は博士か大臣か」と言われ、小学生男子が将来就きたい職業の上位に「博士」が入っていた。当時の私の博士についての認識は、鉄腕アトムのお茶の水博士か、鉄人28号の敷島博士くらいの漠然としたものだった。
ただし、両博士のような科学者ではなく、歴史学をはじめとする文系の学問以外には向いていないという自覚は朧気ながらあったようだ。
練成会に参加したことは、とてもプラスとなった。「自分には無限の可能性がある」と、意気揚々と帰宅したことを覚えている。両親に感謝の気持ちを伝えてから、中高一貫校を目指す進学塾に行きたいと告げた。夢実現には、大学進学しなければならない。その為には、有名中学に進学する必要があることがわかったからである。
子どもは親の収入などの現実は考えずに、夢実現に向かって突き進むのである。当時は四谷大塚や日能研といった大手進学教室は草創期や創立前であり、ほとんどの子は町の私塾に通っていたが、私が入ったのも山科疏水のほとりにある町の小さな塾だった。