塾長は、私が目指す大学出身者ということであった。その風貌を見ると、子ども心にK大学出身というイメージが湧かなかったのだが、小学4年生から3年間、学校とは別の視点からの勉強に取り組んだ。
特に算数が苦手だったので、大学生のお兄さんから、よくわからなかった鶴亀算や流水算、そして百分率等を教えてもらった。小学校の担任の先生より教え方が上手くて理解できた。それから、私は長い文章問題が苦手で、読解力がないと式を作れない点を強化してもらった。そして、分厚い『全国有名中学入学試験問題集』を購入してコツコツと解いていった。
ところが、突然事件が起きたのである。小学5年生の時に、母が喀血したのを目の当たりにして、大袈裟かもしれないが死ぬのではないかとショックを受けた。その後、母は結核療養所に約1年間も入院をし、それをきっかけに、我が家の生活は一変してしまい不穏な空気が漂っていた。
もはや勉強どころではなく、私立中学受験どころではなくなっていったのであった。母の入院により、高額の医療費の為か、家庭の経済状態の厳しさを知らされるという悲しい現実に直面するのであった。このように、私立中学への進学は学費面で断念せざるを得なかったが、それでも夢に向かって 3年間の努力を続けた。その結果、社会科以外の成績も向上した。
得意科目が一つでもあれば、他の教科のことは気にせずに、得意教科を徹底的に伸ばしていくことで、気が付いたら他の教科の成績も上がり、全体として底上げされることを体験することができた。「社会科はできるんだけど算数が駄目」と駄目を強調するのではなく、できる点を褒めて伸ばすこの体験は、後々役に立つことになる。
心残りは、やけくそになり短気を起こして、3年間の努力の記録となる大切な問題集と数十冊のノートは破り捨て、燃やしたことだ。自分としては、未練を残さないという、それなりの理由があったのだが、退院して元気になった母が、私がノートや問題集を燃やしているのを悲しい表情で眺め、「私の責任だ」と、涙を浮かべていたのを見て、胸がチクリと痛んだ。
これで小学生時代は幕を閉じたのであったが、ある反面、進学塾の3年間の思い出を焼却したことで、心はスッキリして、新たな希望とエネルギーが湧いてきた。
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