【前回の記事を読む】3年間の問題集と数十冊のノートを破り捨て、やけくそで燃やしてしまった。退院したばかりの母は「私の責任だ」と涙を浮かべ…

3 苦悩の中学生時代 

私立中学進学は断念することにはなったが、塾に3年間通った成果により、算数をはじめとして全体の学力が向上した。

そして、自分の描いた夢をこの段階で諦める必要はなく、公立中学・高校からでも目指す大学進学は可能という希望は残されていた。

私は気持ちを切り替えて、地元の公立中学校に入学した。お祝いには、当時の入学祝いの定番であるセイコーの腕時計とパイロット万年筆を買ってもらい、長髪に整髪料などをつけて、VANシューズを履いて、新品の制服を着てお洒落な中学生生活がスタートした。

世間ではビートルズの来日で、ギターやレコードプレーヤーを買って、音楽への関心が高まっていった。

学業面では、教科ごとに先生が替わるのが変化があってとてもよかった。新しく学ぶ英語も負担にはならなかった。

中間試験と期末試験も出題範囲が示されて、試験対策もペース配分さえ掴めば成績は安定していた。何よりも当時は成績上位者が貼りだされて、とても励みになり、競争心も持つことができて、このままでいけば、6年後には夢実現の為の大学進学は目途が付いたものと疑わなかったのであった。

我が家は、父母の仲が悪くなってから生活が一変して、ぎくしゃくとした暗い家庭生活であったが、そのような中で、一人っ子の公立中学校への進学に何とか人並みに準備を整えてくれたのは、両親としては長男への最後の想いだったのだろうと、今になって思うのである。