両親の離婚

とうとうその日は来た。両親が離婚したのである。

私は、どちらの親と暮らすかという選択に迫られたが、ひとまずは母親と暮らす決断をしていた。当時は両親の離婚は珍しく、クラスでも殆ど見られず、性格の不一致などは離婚理由にあまりならなかったのではないだろうか。

悲運の青春時代を送ったこの世代は、子どもを一人前にするまでは、自分の幸せを犠牲にしてでも耐えたのかもしれない。

「自分の人生より子どもの人生」を優先し、自分が経験した苦労を繰り返させたくないと考え、我が子には学歴をつけさせて、将来安定した職が得られるようにと、希望を先に繋いだのではないだろうか。

私の両親は、親の死により一家路頭に迷う体験をしたにもかかわらず、同じ思いを子どもにさせるなどは、因果は巡るとしかいいようがないようにも感じた。ただし、永遠の別れではなかったのが幸いであった。

引っ越しは中学1年の終業の日だった。ここで私は大きな過ちを犯したのであった。

それは、元家の長男として生まれたことを自覚せずに、親権も父にありながら母と一緒に出て行ってしまったことである。さぞ父も先祖も悲しんだであろうと思う。

その後、父は大病を患うことになるのであった。現在では、離婚後の「共同親権」や「母性優先の原則」といわれている中で、こども家庭庁発足に伴い、手厚い支援体制であっても、結局はシングルマザーが働いて子育てをしていることが多い状態だが、単独親権であっても母親優先は変わらず、共同親権法改正が施行されても、紛争の火種が増えるという懸念がある。

そうしたことは、当時としても13歳の少年にはわかる由もなかったのであった。この後で進路の危機が待っていることを想像もしない人生の分岐点であり、夢実現からはますます遠のいたのであった。