【前回の記事を読む】「遊ぶって、何……」「楽しいこと。絶対に満足させてあげるわ」踵を返し去ろうとしたが、力強く掴まれた腕が離れない。

遮断機

初めてのアルバイト……云々は、雅子の歓心を買わんがための口実だった。ピン札だった一万円札をわざわざ皺くちゃの一万円札に換えての姑息な偽装工作と、精一杯の潔さを演出した手紙に一縷の望みを託していた。

(もう、諦めろ!)

そう自分自身に言い聞かせながらも、朝晩必ず郵便受けを覗いて毎日を過ごした。

何度も第二伸を書こうとした。電話を掛けようとも思った。しかし、この際下手に動くより、ジッと待つことが最も効果的な行動だと自分に言い聞かせ、待つことに専念した。それは恭平にとって何よりも困難な選択だったが、耐え抜いた。

耐え抜き通したが、待ち焦がれた返信は届かなかった。

生来恭平は、長期的な計画能力が欠落しており、それを補って余りあるほどに楽天性が顔を利かせていた。

そして、「人類の歴史を築いてきたのは楽天家だ」と自らを慰め、言い聞かせていた。

恭平は大学受験に二度失敗した。しかし、失敗に大きく落ち込むことは無かった。

そもそも受験に臨む恭平には大学で何かを学びたいという強いモチベーションも、その先に待ち受ける人生に向き合う真摯さも欠落していた。

「女の子にモテたい」

不純な動機から始めたサッカーだったが、モチベーションの強さは意外な継続力を発揮した。不純だった動機も次第に純化され、サッカーそのものに没頭していった。

結果として、四十名を超えていた新入部員が厳しい練習とシゴキに耐えかねて次々と脱落していく中、レギュラーを獲得しただけでなく、三年時には県の選抜メンバーの一員に選ばれた。

その経験を通して得た教訓は、物事を成就するのは資質ではなく、遣り抜く覚悟の大切さであり、遣り抜くためには強いモチベーションが必須であるという条理だった。

しかし、もう少し高い舞台で、もう暫くサッカーを続けたいという以外に然したる動機を持てなかった大学受験は、歴然たる学力不足で完敗。

現役での受験は、十一月のサッカー選手権広島県予選決勝での肋骨のヒビと肋膜炎の併発による、二か月間の入院が決定的なダメージになった。

一浪後の受験は、僅かばかりの成績向上を妄想的に過大評価。現役で合格したかつての同級生への独り善がりな見栄による高望みが仇となり、敢え無く撃沈。

加えて、唯一合格した滑り止め大学への入学手続きを一蹴する愚挙は、父親を激怒させると共に愁嘆させる始末だった。