【前回の記事を読む】別れる気なんてない。先ずは、三万円を返そう。それも、ただ送り返すのではなく、何か上手い口実をつくって―。
遮断機
気がついた時、麗子は雅子とオーバーラップし、恭平は武山中尉になっていた。
四十分ほどの短い、しかし全編をスローモーションで観るように長い映画が終わって、場内が明るくなった。
座席から滑り落ちそうになるほど姿勢を崩し、肘掛けを両手で支えて起き上がった恭平は、その態勢のせいもあって肩で苦しい呼吸を繰り返していた。
最終上映を終えた館内は明るくなり、掃除が始まる。恭平は急き立てられるように席を立ち、外に出た。外は、半時間前よりもさらに冷たい風が吹いている。
ズボンのポケットに手を差し入れ、雅子から送られてきた二つ折りした三万円の所在を確かめながら、高田馬場駅に急ぎ西武新宿行きの電車に乗った。恭平は一刻も早く暗い場所から逃げ、明るく賑やかな場所に身を置きたかった。
西武新宿駅のホームを下り、改札手前の小便臭い便所に入って小用を足す恭平自身は、パール座での熱い余韻を残していた。
サラリーマン、OL、学生にフーテン、歌舞伎町には様々な人が溢れている。しかし恭平は、この町をほとんど知らない。春と秋の稲陸戦にも足を運ばなかった恭平は、当然その後のバカ騒ぎにも加わらなかった。
コマ劇場も同伴喫茶もトルコ風呂もストリップ劇場も雀荘もビリヤードもスタンド・バーも、およそ無縁だった。
恭平のこの町での立ち寄り先は、立ち食い蕎麦屋だけだ。その割に恭平は、この界隈をよく歩く。
雑誌やその道の練達の友からの情報によると、この町を歩く男と女の目的は一つ。同じ目的意識を持った男と女の間に言葉は要らないと言う。
しかし、何時間歩き回っても目的の入口さえも見つけることができなかった。
思いがけぬハプニングを待ち続けていた初心(うぶ)な恭平は、残念ながらハプニングは待つものでなく、起こすものだと言うことを知らなかった。
この夜も当てもなく歩き続けていた恭平は、新宿三丁目の裏通りで待望のハプニングに声をかけられた。
「お兄さん、遊んで行かない?」
その囁きは、プラカードを手にした店内への呼び込みとは明らかに異なり、何か秘密めいた響きを含んでいた。反射的に後ずさりし、精一杯の無関心と不機嫌を装いながらも、口を吐いて出た言葉は物欲しげだった。