それでも、何とか稲穂大学に紛れ込んだ恭平は、「やはり、サッカーが好きだ」との単純な動機から、サッカー部の門を叩いた。そして二か月後には、その門を出た。
全てが違い過ぎた。横一列に並んで百メートルのダッシュを走れば、トップとは数メートル近くの差が開く。ヘディングをすれば、相手の肩から顔を覗かすのがやっとで、ボールには触れない。得意だったプレス・キックも、距離と制球は互角でも、スピードと変化は雲泥の差。
然らば!と身体を張ったラフ・プレーと執拗なまでの粘りを売物に、アピールを図るも、無理が祟って腰を痛め、無念のリタイア。
マネージャーとして残ることを勧められたが、「その器量はありません」と断った。
マネージャーが嫌だったのではなく、プレーヤーに嫉妬する惨めな自分を見るのが嫌だったのだ。
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