(2) H君の場合・7月2日2講時

高橋教養部長と話し合いを行おうとした。しかし、高橋教官は、我々を無視し、我々が追及すると、彼は夏休み中の宿題の内容と休講にするとの発言を終えて、その後イスに座り沈黙していた。また、その場には、話し合いを聞こうと大半の学生が残っていた。「不法に監禁した」との文面は事実の誇張に他ならない。

(3) Y君の場合・7月3日2講時

私は、窓から2列目、前から4列目あたりにすわっていたが、討論の司会者に発言を求められて1回発言しただけである。この授業は教官が司会者の側にいて討論に加わっており、「討論をこれで終わって授業にする」と教官が言った時、すでに残りの時間は15分であった。これは、教官の時計が止まっていて「あと1時間あるものと思っていた」という教官の勘違いであった。

(1)については、高橋教養部長が教室に姿を現したという事実さえないのに、「教室に入り授業を行うのを不可能にした」と一方的に決めつけられ、「授業妨害」として処分理由となっていた。(2)については、教官を物理的な強制力により「監禁」したわけではなかった。

(3)については、教官が講義の時間に討論することを許可している。これらの例を見ると、いわゆる「授業妨害」による処分理由になるとは思えない。学生を処分するために強引に理由付けをしたとしか思えないのである。

特に、(2)の「監禁」という理由については、大学当局が学生を処分したり、弾圧したりするための常套手段となっていた。例えば、1972 年の学費闘争において、当時から反動教官だった菅野喜八郎教官の前例がある。しかも、彼はこれを理由として学生を裁判所に告訴したのである。これについては、1972年学費闘争の裁判記録である『影一族 怨の巻』から引用してみる。

「1972年4月13日に、2時から課外活動室において、法学部を中心とする学生は、菅野喜八郎教官と『機動隊導入によって重傷を負った女子学生の抗議文』の件や『後期試験の対応』などについて話し合いを持った。

菅野教官は、『45分で不法監禁が成立する』とあらかじめ用務員に伝えておき、急に『便所に行きたい』などと言い出し、『ちょっと待て』と学生が言っている間に、部屋の中に小便をした。その後、この場から帰るそぶりを見せつつも、実際は帰るつもりは全くなく『監禁罪』を成立させようと執念を燃やし、実際に、告訴に踏み切ったのであった。」

 

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