【大正浪漫 文豪・ラブレター執筆の地】

〈一宮館から約1kmの早朝の太平洋の朝日 筆者撮影〉

この一宮館は令和のいま「老舗」旅館として、またこの芥川との縁を強調して人気旅宿になっている。旅行情報サイトで見てみると結構な高級旅館ぶり。九十九里の浜辺が海水浴場として鉄道も開通して、東京からの観光客が押し寄せ始めた時代、そういった一種の「ブーム」に沸いていたに違いない。現代では九十九里の浜に平行する高速道路「九十九里有料道路」からのアクセスもいい。

また、この庵から九十九里の海岸までは徒歩でも数分、距離にして700〜800mという至近距離。潮騒が響き渡り、海風が松の防砂林を抜けてくるような立地。地図を参照してみると、この旅館の建つ位置は一宮川が九十九里にそそぐラグーンに対して砂州(さす)の立地になっている。

明治の大変革によって近代化の道を歩み始めた日本は、日露戦争の勝利などで「一流国」という位置を獲得し、そういう時代背景の中、大正ロマン主義のような社会の空気感があった。昭和の戦後・大衆社会化状況と似たような時代相が感じられる。竹久夢二のようなロマンチックな表現がもてはやされたことからも、そういう社会の雰囲気が感じられる。



青年芥川龍之介は25才の時にこの「芥川荘」と後にかれの名を付けられた一宮館・離れの草庵に友人・久米正雄と逗留した。

庭園の一角に石板が置かれている。写真には1916(大正5)年の8月17日〜9月2日までの滞在期間が記されている。九十九里の海浜の開放的な「真夏」感がかれのいのちと男としての本能を激しく刺激して、かねてから恋い焦がれていた女性のことが熱情を帯びて脳裏を満たしていたことがわかりやすく想像される。

防砂林の松林を抜けて数分歩けば、日本有数の温暖地らしい海浜があり、遠く南国太平洋に連なる大地と大海が広がっている。その自然に刺激された熱情がこの離れの、いかにも蒸暑地の開放的な庵という空間の雰囲気の中で爆発したのだろう。

 

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