目前の景色に見惚れ、僕は簡単な返事しかできなかった。あかりが何か言ってくるかという不安が頭を掠めたけれど、以前に校門のソメイヨシノを仰いでいた時と同じ、少しもの寂しさを感じる安らかな微笑を顔に湛え、あかりは港をただ眺め見ていた。
しばらく景色を見入った後、展望台の右手に広がるバラ園へと向かった。バラに包まれたアーケードをくぐり、階段を数段降りると、窪地を贅沢に埋め尽くす多種多様のイングリッシュローズが僕たちを出迎えた。
あかりによると、百種類以上、千株以上のバラが植えられているそうだ。ピンク、赤、黄色、白、色とりどりのバラが自身の宿す純粋な華美で園全体を飾り付けている。
園の真ん中に鎮座する噴水の水面にはバラの花弁が数枚浮いていて、風が吹く度に揺れ動き、その水面に小さな波紋を生んでいた。生まれては消える波紋を見ていると、どこか命の儚さと尊さを感じる。
園内を見渡しながら特に濃い印象を受けたのは、赤みがかったバラだ。その強く鋭敏に刺さる感覚は、母の病室で見た撫子、柏木さんの花屋で見た撫子を彷彿させた。先ほど職員の方が潅水したため、花枝や花柄から突き出る棘の突端と、花弁の表面に透き通った水滴が残り、日照りを受けて燦然と輝いているように見えた。
その光は僕の心中の霧を晴らして、展望台の光景が取り出した何かを徐々に広範に照らした。
「颯斗くん? 颯斗くんってば!」
「あ、うんごめん。なんか言った?」
「何かって、だいぶ喋ってたよ! 無視しないでよね!」
口調と態度は不貞腐れているけれど、あかりの表情はどことなく喜んでいるみたいだ。
「文句言っている割に、なんか嬉しそうに見えるけど、気のせい?」
「え、いや、めっっちゃ怒ってるよ! ほら!」
あかりはわざとらしく頬を膨らませる。怒りの表現のレパートリーはそれしかないのかと言いたかったが、言葉は出さずに飲み下す。
「赤色のバラが好きなの? 赤でもいろいろ濃さがあって素敵だよね。スプレーバラの色なんか私好きだなあ」
スマホを素早く叩いて、「ほら」と画面を見せてきた。そこに映る赤いスプレーバラは、さらに僕の心を強く惹いた。
「ちょっと颯斗くんめっちゃ近づいて見るじゃん! 綺麗な風景とか花とか、そういうのが本当に好きなんだね」僕はいつの間にかあかりの手を握って、スマホを顔に近づけていた。
次回更新は8月9日(土)、21時の予定です。