挨拶もそこそこに、政宗は次から次へと頼みごとや申し出をしてきた。阿古は相槌を打つのも大変であったが、それは概ね次のとおりであった。

──阿古は、有職故実、京の雅に、古今の和歌、源氏の五十余巻(源氏物語)などに通じていると聞く。我が伊達家は、この政宗を含め当主が何代にもわたり、連歌や能楽、書などの道を究めている家風である。阿古の仙台入りを諸手を挙げて歓迎したい。ぜひ、この政宗や、城中の女子(おなご)らを相手に、和歌や物語などを教授してほしい。

──夫・松平忠輝の蟄居で離縁となり、伊達家に戻ってきた我が娘・五郎八姫(いろはひめ)の話し相手をしてほしい。姫は聚楽第育ちで、どこの家に嫁がせても恥ずかしくないよう、何事も京風に躾(しつ)けてきたが、それが仇となり、城中では誰も相手ができず寂しい思いをさせている。

──阿古の二人の息子は、近々小姓として登用する。佐竹や長宗我部姓では憚りがあろう。新たな姓を立てるが良い。いずれは伊達家一門、しかるべき格の家の養子にすることも考えよう。

──今後は本丸奥座敷詰めとして暮らしてほしい。暮らしに必要な禄や女中人足は、遠慮せず頼まれたい。不自由しないよう手配する。

阿古は、半ば政宗の熱意と勢いに押されながら、これら頼みごとに申し出、全て承諾した。

 

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