【前回の記事を読む】「我が殿に一度刃を向けようとも、いずれ必ずや皆残らず味方とする」老将はそう言って落ち延びた敵方の妻子を迎え入れた

第一章 忠と義と誉と 
文禄五年(一五九六)~正保二年(一六四五)

敵方を味方に

案内された天下茶屋(てんがちゃや)の片倉本陣では、信氏の言うとおり、握り飯や温かい汁が用意されていた。

「さあさあ、さぞ空腹でありましょう。たんと召し上がられよ」

「わあー! 握り飯じゃ!」

長きにわたる大坂城中での籠城、そして脱出行により、極限まで腹を空かせていた阿古の幼子たちは、握り飯にひときわ目を輝かせ、信氏の勧めるままに飛びつき、ほおばった。戦場の前線で米といえば、戦闘糧食の「干し飯」(糒(ほしいい))が当たり前であるが、生米から炊き上げ、味噌をつけて炙った握り飯が、大量に用意されている。

つい先刻まで、地獄のような大坂城内にいた阿古は、驚くほかなかった。平時であれば親として「それでも武家の子ですか! はしたないまねは……」と幼子たちの行状を叱るところであるが、伊達軍の圧倒的な物量と、信氏らの優しさに圧倒され、幼子たちの不憫さを思うと、阿古は何も言う気にはなれなかった。

「どうじゃ、味はいかがでござるか?」

「旨い! こんな旨い米に味噌、初めてじゃ!」

「ははは、そうじゃろう。米に味噌、これぞ伊達家一の自慢でござる」

信氏らのもてなしの前に、頬を米粒と味噌まみれにした幼子たちは無邪気であった。仙台から廻送し、京の伊達屋敷に蓄えられていたという生米に赤味噌。味噌はのちの世に「仙台味噌」として名産品に数えられるものである。伊達家のいる奥州の地の豊饒さを窺わせた。

「見よ、大坂城が燃えておるぞー!」

「勝った、我々は勝ったのだ!」「おおー!」

阿古姫母子が片倉本陣で休息を許され、ようやく一息ついた頃、はるか北にそびえる大坂城から、激しい火の手と煙が上がった。豊臣方の敗北が決し、戦は終わったのである。

阿古は、夕焼けと炎で紅蓮(ぐれん)の色に包まれた北の空に向かい、そっと手を合わせた。