朝も昼も晩も仕事漬けで、残業代を稼ぐことに余念がなく、自ら時間外労働を獲得しに回るような働き方をしていた。一番分かりやすくお金に依存していた。
結婚して子作りをすれば、行為をした次の日から一日二回、毎日妊娠検査薬を試した。およそ半月は経たなければ反応するはずがないと分かっていても、とにかく検査をし、いずれかの結果を得ることがやめられなかった。
子を産んでからは、なんて自分は育児向きなのだろうと思った。子は絶妙なタイミングで泣いてくれるし、困らせてくれる。
こちらが依存しそうになるその前にこちらへの依存を行動で示してくれるし、時にその依存に本気で悩まされることもあるくらいだから、幸せなことこの上ない状況だった。
元々睡眠をとることは上手ではないし、夜泣きで起こされれば、その後の眠りの尊さが増すだけのことだ。むしろありがたささえ感じた。
出産を迎えるための数時間に及ぶ陣痛の痛みは「生きている」ことを教えてくれたし、帝王切開になり手術後に暗室の闇の中でひたすら漏れた点滴で全身を濡らしながら冷たさと痛みに耐えた記憶は、私の人生の宝物だ。
あれが唯一私が真の意味で「生きている」と感じられた時間だったのかもしれないと思う。
ただ「消化している」のではない時間だったように思えるのだ。育児への依存度が子の成長とともに下がっていくと、次に依存したのがギャンブルだった。
次回更新は9月1日(月)、19時の予定です。
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