崇高な遊び

私はもしかしたら男好きなのかもしれない。最近しきりにそんなくだらないことを考える。考えたくないから何かに夢中になる、ふりをしている。

依存しやすい人間とそうでない人間、二種類に分けられる気がする。

「生活が破綻するほど追い詰められないためには、依存先を複数にしましょう」

ギャンブル依存症やアルコール依存症⋯⋯世の中には様々な依存症があるが、そこから脱却することを目指す自助グループなどでよく言われるのが、先の台詞である。私はまさにその台詞通りに体現していて、多くの依存先の確保に成功している。

ただそれは、意図せず様々なものに依存してきたこれまでの歴史があるからだ。三十年以上も生きれば、個々の事象が連なって見え、自ずと依存先が複数あるように映るだけのことである。

中学生の頃には拒食症と過食症を繰り返した。食べないことに快感を覚えたり、食べることでしか心を満たせなくなったりした。

高校生の頃には摂食障害に加えて彼氏、異性への執着があった。付き合う相手や自身に好意を寄せる相手に依存した。

特に連絡手段としてのケータイに依存し、肌身離さず持っていた。自身がメールを送信した瞬間から相手の返事を受信するまで、ひたすら「受信問い合わせ」をし続けた。

たまたま受信サーバーでメールが止まっていれば問い合わせに応じて受信するが、そんなことは滅多になかった。私はその「受信問い合わせ」をほぼ一日中し続けていた。

大学生の時はアルバイトをいくつも掛け持ちし、最長記録は四十五連勤だった気がする。学生時代は本分が学業である分、あまり胸を張って仕事に身を捧げることができなかったが、社会人になると、晴れてワーカホリックデビューを果たした。