こうして考えれば、この国にはもともと「古事記神話」とは異なる別の系列の神話や伝承があったのではないかと思い当たるわけである。そしてこれらの神話・伝承を、「古事記神話」に同調・収斂させたものが「日本書紀神話」ではないのか。つまり、『日本書紀』は、「古事記神話」によって枷をはめられているのではないかと気付くわけである。

あるいはこの説明については違和感を持たれる読者があるかも知れない。

それは「天武天皇紀」の十(西暦六八一)年三月条に、天皇が大極殿(おほあんどの)で「帝紀(すめらみことのふみ)及び上古(いにしへ)の諸事(もろもろのこと)を記(しる)し定(さだ)めしめたまふ。」とあるからだ。

この記事が『日本書紀』の編纂に係るものであったとするならば、すでに『古事記』が成立する以前の六八一年の時点で、『日本書紀』には制約が加えられていたことになる。つまり『日本書紀』は、『古事記』とは関係のないところで枷をはめられていたことになるからだ。

だがいずれにせよ、『古事記』と『日本書紀』の根底に流れる思想が「天皇統治の正当性の主張」であるならば、そこには「高天原神話」と「天孫降臨神話」が不可欠になる。したがって、『日本書紀』に制約が加えられたのが『古事記』の成立以前のことであったとしても、これらの神話が『日本書紀』の枷になっていることは間違いない。

だから『日本書紀』がいくら歴史書の体裁を整えていたとしても、そこではこれらの神話による制約によって、「正實に違い、多く虚偽を加」えているのではないかと疑われることになるわけである。