【前回の記事を読む】「『テーバイ』 は、すぐそこだ」――故郷を占領支配から解放するべく、十二名の猟師は殺気立っていた

第一章 テーバイの解放

寡頭派というのは、少数者が政権を掌握する政治体制・寡頭政を支持する勢力のことである。対極にあるのが民主派で、寡頭政をよしとせず、民主政を標榜する。寡頭派と民主派は主義主張の違いから対立した。

古代ギリシアにおいては、寡頭政治を行うスパルタと民主政治を行うアテネが対立し、両者の抗争が主軸となって全ポリスを巻きこんだ大戦争が、紀元前四三一年~紀元前四〇四年に起こったペロポネソス戦争である。

この当時のテーバイにおいても寡頭派と民主派が対立していたが、テーバイの寡頭派たちは、スパルタの軍事力を背景に政権掌握を画策した。テーバイの寡頭派から策謀をもちかけられたスパルタの将軍フォイビダスは、にたりと笑い、

「オリュントスを攻囲している間に、テーバイが寝返って補給路を断たれては困る。後方の安全を確保しておくためにも、テーバイは是非とも手中に収めておきたい」

常々テーバイを危険視していたスパルタとしては、テーバイに傀儡(かいらい)政権をつくりあげ、意のままに操れれば、それに越したことはない。

じつはテーバイは、ボイオティアの諸ポリスが結成する「ボイオティア同盟」の盟主として、なにかとスパルタに反抗した。そこでスパルタは、四年前の紀元前三八六年、ペルシア帝国のアルタクセルクセス二世とよしみを通じ、大王の勅命を盾に、力づくでボイオティア同盟を解体し、テーバイの無力化を図っていた。

「カドメイアにいる女どもを人質にとれば、テーバイ人もスパルタに屈服しような」

スパルタの将軍フォイビダスにとっては、テーバイの寡頭派レオンティアデスらの申し出は、まさに渡りに船といえた。

「スパルタはかつて、ペロポネソス戦争に敗北したアテネに対し、寡頭政(『三十人僭主(せんしゅ)』の政権)を敷き、総監と駐屯軍を派遣して占領統治下に置いたものだ。うまくいけば、テーバイにも同様の支配体制を敷ける」

「スパルタ軍の強力な後押しが得られれば、テーバイの寡頭派も安泰。われら寡頭派がテーバイの政権を掌握した暁(あかつき)には、スパルタの意向を決して蔑ないがしろにはいたしません」

「よし。その話、のった! レオンティアデスよ。すぐに、われらを手引きしろ」